みなさん、今日和。

そろそろいい加減、このダイアリーでも更新しようかと思い立って、保存しているマッキントッシュの「Journals」フォルダのファイルを見ていたら、なんと一年四ヶ月も放っておいていたのですね。しかも、昨年2018年に書いた日記は一本だけ。

これはイクラ丼でも、いや、「いくら何でも」いけないですね。申し訳ないです。このホームページに訪れている方がどれほどいらっしゃるのか存じ上げませんが、今後はもう少しは、針切ろうと思います。


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先日、僕は誕生日を迎えて、40歳になった。40といえば、かのジョン・レノンさんが暗殺された歳である。「自分がこの歳になるなんて想像もしなかった」なんて、よくある食傷気味のセリフは控えることにしたいけれど、やはり時の経つことの速さを実感せざるを得ないものだ。                         、、、

東京に言われるがままに(ひと旗上げようなどと思って自分から上京したわけでは決してない)出てきたのが1998年・

18歳で、今から21年前、ママレイド ラグとしてデビューしてから17年。

その間、随分といろんなことがあって、いろんな思い(特にイヤな思いとかね)をしてきたのだろうけれど、

思い返すと、そんなことはほとんどすっかり忘れてしまって、中年で独身のあまりぱっとしない、ただ今の僕がいるだけである。

実にあっけないけれど、過ぎて仕舞えば何でもそんなものだろうと思う。


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でもまあしかし、普通(大学を出て就職して昇進して云々)の人々に比べると、その傾向がより一層顕著な感じもする。

コンサートのリハーサルなどで、ギター・ケースを肩にかけて街のスタジオに向かう道すがら、天気の良いきらきらと青く光る空を見上げたりした時に、僕はふと思う。

「まったく、僕のやっていることと言ったら、高校生の頃からちっとも変わっていないじゃないか」と。

自分に呆れたような、これでいいのだろうかというようなちょっとした不安のようなものを心に抱いて、僕はため息をつく。

ため息さえも爽やかにしてしまう、春の陽気な暖かい陽射しの中で。

そんなわけで、基本的に若い時から生活がずっと変わらないわけだから、過ごしてきた日々の区別が、平均的な人よりもずっと付きにくいのかもしれない。要するに40歳でも、中身(行動パターン)は16歳の時と「まるでいっしょ」なのである。

悲しいかな、好むと好まざるとにかかわらず。


でもそんな時、遠い昔に作った曲のメロディが頭の中に流れてきたりすると、僕はちょっと口ずさんでみる。

歌詞をうまく歌えることもあるし、想い出せないこともある。たいてい、それらの曲たちは今の僕にとって意外な旋律を辿っていて、それが僕にはうれしい。そのひとつひとつが僕の心を癒し、慰めてくれる。

創った時からそれらは、ただずっとそこにあって、決して消えることはない。


                                街の 狭い路地で 君に逢った ときのことを 君は今も 覚えてるかい?


僕は、あの時の「路地」に舞い戻ることができる、

いつでも、どこでも、どんな時でも。

「遠い昔のメロディ」

2019/05/23