久しぶりに日記でも書いてみようと思って、マッキントッシュの前に座っている。六月九日、時刻は午前一時二十分。
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今年はご存知の通り、3月くらいから “covid-19” の影響で、音楽活動もほぼストップしてしてしまった。相変わらず、
自宅でゴソゴソといろんな研究を進めていたのだけれど、全くコンサートも出来ないようだとストレスも溜まるし、
何より演奏技術や歌の勘が鈍ってしまって、これもまた困ったものである。
大抵の他のミュージシャンの方々は非常にマジメな様なので、自宅でこつこつトレーニングされているのだろうけれど、
僕にそんな事が出来るわけがない。知らない人も多いかもしれないけれど、僕は何か動き出す方向性が決まらないと、
とても怠惰なのだ。いけませんね。
というわけで、毎年佐賀で行われるチャリティ・イヴェントも「中止」との連絡が先日入った。
こうなると通例の大阪・岡山・佐賀でのミニツアーも僕はたぶん演らないわけで、残念である。
これを行う口実として、佐賀でのイヴェントは大事なものだったのだ。
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佐賀といえば、僕の出身地となるわけだけれど、僕はそこを離れてから「故郷」とか「ふるさと」とかそういった言葉に
何かを感じた事がない。地元が好きか嫌いかと聞かれても、何も感じないとしか感想を持てない。
何かイヤな想い出があったとか、そういうことではないのだけれど、質問に答えようがなくて困ってしまう。
それは、僕の知っている「佐賀」とは、何もかもが変わってしまったからだ。
情緒豊かな古い駅舎の改築(全く味気のない無機質なものに変わってしまった)、空港建設に伴う幹線道路の整備
(歴史ある古木を簡単に除去した)、どこも同じ様なうるさいショッピング・モールの乱立(4つもあるのだ)
などなど。
結果はそれだけではない。ご存知の様に、そういった都市開発(都市でも何でもないけれど)は大きな副作用を伴う。
駅前の専門店街は軒並みシャッターを下ろし、そのいくつかはアスファルトの伽藍とした駐車場に変わった。
加えて、昔から知っているバーや喫茶店もほとんど残っていない。
そういった変化というものは、全国的に起こっているものだと想像するのだけれど、「故郷」に対して、「愛情や誇り」を
持っている人の方が多い様に思う。特に北海道の方々はその傾向が強く感じられる時がある。
たまに、「どんなに札幌が素晴らしいか」を長々と語られちゃったりすると、正直言ってうんざりすることもある
(ごめんなさいね)。
そういう人は北海道出身の芸能人の応援の肩の入れ方も熾烈で、
驚きと羨ましさと、呆れる気持ちできっちり三等分である。
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とは言えまあ、人それぞれでいいのだろうけれど、個人的には、
「いやぁ、うちの田舎なんて何にもなくてね」
なんて言っているくらいの方が、ちょうど良いのではないかと思っている。
当人にとって、生まれたところがある種特別なのは当たり前なのであって、
いちいち他人に宣伝して回るほどのことだろうか、と思う。
また、「愛郷心」の様なもののスケールが大きくなると、今度は「愛国心」となるわけで、
「我が国は他国より優れている」、という様な考え方に陥る可能性があるのではないかと思う。
これは過去の悲惨な戦争の時に各国でよく使われてきた言葉である。
「愛国心を持つなら地球に持て 魂を国家に管理させるな」
とは、かのジミ・ヘンドリクスさんがおっしゃった言葉の様ですが、
僕も実にそう思います。
様々な地図上の境界線なんて、元を辿れば、ただの権益闘争の結果なのでしょうから。